宿たより
2022/05/19
イサベラバード広場♪
秀峰館は3階から12階までが吹き抜けとなっており、秀峰館3階のイサベラバード広場は吹き抜け全体を見上げることができる場所です◎
各フロアやエレベーターの中などから見る吹き抜けも良いですが、下から見上げる吹き抜けも圧巻!
煌びやかなシャンデリアや存在感のあるパイプオルガン、吹き抜けを行き交うクリスタルエレベーターなど、吹き抜け全体をご覧いただくことができるため、撮影スポットとしてもおすすめです♪
この広場の名前となっている「イサベラ・バード」は、ある女性の名前です。
1878年(明治11年)5月20日、イギリス人女性「イサベラ・バード」が長い航海を経て横浜港に降り立ちました。
日本人の通訳1人を連れて、当時まだほとんど外国人が足を踏み入れたことのない未開の奥地である東北・北海道へと、馬上の人となり颯爽と歩を進めたとされています。
3ヶ月におよぶこの旅の様子を綴ったバードの著書「日本奥地紀行」によると、現在の鬼怒川温泉近辺では、バードは会津西街道を北上しました。
明治11年6月24日に日光をたち、小百(現在の日光市小百)の酒造家の庭先で休憩し、小佐越(現在の日光市鬼怒川温泉大原)で鬼怒川を渡り渓流沿いを北上、藤原(現在の鬼怒川地区)の宿に一泊しました。
「日本奥地紀行」では当時の様子が驚きと感動をもって、また、温かく表現されております。
当時の藤原には1軒の宿と46軒の農家がありました。
あさやの創業は1888年(明治21年)ですが、その前身は江戸時代の藤原での「善八宿」にあります。
バードの藤原での宿ははっきりとは分かりませんが、もし「善八宿」に宿泊していたらと思うと、バードとあさやとの縁を感じますね。
私どもはこのバードの勇気と快挙、そして私どもとの赤い糸を後世に伝えるために、当館のメインの広場を「イサベラバード」と命名いたしました。
イサベラバード広場でお寛ぎの際には、およそ140年前のバードの旅に思いを馳せてみてはいかがでしょうか☆
イサベラバード広場のある秀峰館3階には地酒やお食事をお楽しみいただける茶屋「きぬの蔵」や「占いコーナー」、ゲームセンター「ラスベガス」などもございます♪
館内施設を楽しんだり、記念撮影をしたり☆思い思いのひとときをお過ごしください(^^)
各フロアやエレベーターの中などから見る吹き抜けも良いですが、下から見上げる吹き抜けも圧巻!
煌びやかなシャンデリアや存在感のあるパイプオルガン、吹き抜けを行き交うクリスタルエレベーターなど、吹き抜け全体をご覧いただくことができるため、撮影スポットとしてもおすすめです♪
この広場の名前となっている「イサベラ・バード」は、ある女性の名前です。
1878年(明治11年)5月20日、イギリス人女性「イサベラ・バード」が長い航海を経て横浜港に降り立ちました。
日本人の通訳1人を連れて、当時まだほとんど外国人が足を踏み入れたことのない未開の奥地である東北・北海道へと、馬上の人となり颯爽と歩を進めたとされています。
3ヶ月におよぶこの旅の様子を綴ったバードの著書「日本奥地紀行」によると、現在の鬼怒川温泉近辺では、バードは会津西街道を北上しました。
明治11年6月24日に日光をたち、小百(現在の日光市小百)の酒造家の庭先で休憩し、小佐越(現在の日光市鬼怒川温泉大原)で鬼怒川を渡り渓流沿いを北上、藤原(現在の鬼怒川地区)の宿に一泊しました。
「日本奥地紀行」では当時の様子が驚きと感動をもって、また、温かく表現されております。
当時の藤原には1軒の宿と46軒の農家がありました。
あさやの創業は1888年(明治21年)ですが、その前身は江戸時代の藤原での「善八宿」にあります。
バードの藤原での宿ははっきりとは分かりませんが、もし「善八宿」に宿泊していたらと思うと、バードとあさやとの縁を感じますね。
私どもはこのバードの勇気と快挙、そして私どもとの赤い糸を後世に伝えるために、当館のメインの広場を「イサベラバード」と命名いたしました。
イサベラバード広場でお寛ぎの際には、およそ140年前のバードの旅に思いを馳せてみてはいかがでしょうか☆
イサベラバード広場のある秀峰館3階には地酒やお食事をお楽しみいただける茶屋「きぬの蔵」や「占いコーナー」、ゲームセンター「ラスベガス」などもございます♪
館内施設を楽しんだり、記念撮影をしたり☆思い思いのひとときをお過ごしください(^^)